葬儀にお参りした時に、お飾りのお花をいただいて本堂に 活けています。
環骨や初七日でお参りになった方々にも喜ばれています。
花は、場所を変えて生き続けてくれます。...
生き続けるとはどういうことでしょうか。
たとえば本堂の柱。
200年前に切り倒されたときに、生物学的には死んだの でしょう。
でもこうして200年間、柱として生き続けている。
やがて数百年後にはその役目も終えるのでしょう。
でも物質としての役目を終えても、こうして繋がれたご縁 は生き続けていきます。
仏道という道があります。
それは、私の歩んでいる道と別にあるのではありません。
私の歩んでいるこの道は、若い時には希望あふれる道だっ た。
それが老病死や愛別離苦に出会うたびに、娑婆の道だった と知らされました。
一歩先が分からない暗闇を、手探りで歩いていました。
でもこの道こそが、阿弥陀さまのやさしい願いに照らされ た仏道でもありました。
仏さまと出会ったなら、仏さまと道連れの人生へと転ぜら れていきます。
喜びも悲しみも、私の見ている景色は、阿弥陀さまと一緒 に見る景色でした。
無量寿、無量光につながり生き続ける道を、今日も歩ませ ていただきましょう
環骨や初七日でお参りになった方々にも喜ばれています。
花は、場所を変えて生き続けてくれます。...
生き続けるとはどういうことでしょうか。
たとえば本堂の柱。
200年前に切り倒されたときに、生物学的には死んだの
でもこうして200年間、柱として生き続けている。
やがて数百年後にはその役目も終えるのでしょう。
でも物質としての役目を終えても、こうして繋がれたご縁
仏道という道があります。
それは、私の歩んでいる道と別にあるのではありません。
私の歩んでいるこの道は、若い時には希望あふれる道だっ
それが老病死や愛別離苦に出会うたびに、娑婆の道だった
一歩先が分からない暗闇を、手探りで歩いていました。
でもこの道こそが、阿弥陀さまのやさしい願いに照らされ
仏さまと出会ったなら、仏さまと道連れの人生へと転ぜら
喜びも悲しみも、私の見ている景色は、阿弥陀さまと一緒
無量寿、無量光につながり生き続ける道を、今日も歩ませ
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